自己実現と社会貢献を志す人へ

先生&生徒のつぶやき

2021.05.17

正直であること

執筆者:生徒指導課長  山下 久夫

人は正直であれば本当に幸せになれます。

ですが、正直者は馬鹿を見るという人もいます。
また正直者は幸せになるというのはきれいごとだという人がいます。
他に、何でも正直にしていたら損ばかりすると思っている人もいます。
現実世界はそんなに甘くないという人もいます。
実際にそう言う人は正直にしてきて損をした経験があるのでしょう。
失敗やミスを隠したりごまかしたりしている人の方が得をしているように見えたのでしょう。

このことについて少し利他的に考えてみましょう。
正直に行動して、「幸せになれる人」と「バカを見る人」には、ある違いがあります。
先日学校でこんなことがありました。
ある生徒のグループが選択授業中にドローンを飛ばしていました。
ところがその操作を誤ってしまいドローンが海へ落ちてしまったのです。
その生徒はすぐに、校長先生のところへ行き、「誤ってドローンを海へ落としてしまいました。本当に申し訳ございませんでした。」というと、校長はニコニコして「失敗はだれにでもあるから。」というだけでした。
校長先生はその生徒の正直な行動と他人のせいにせず自分の過ちを素直に認めたことを褒め、ドローンを海へ落としたことには触れなかったのです。
正直になるというのは勇気のいることです。
どんなことでも他人のせいにせず、誰に言われることなく自分で素直に行動することが大切なのです。
もし、その生徒が言い訳をしたり、他人のせいにしたりしていたら校長先生も簡単には許さなかったでしょう。

正直であり利他的に行動する人は決して他人の評価を下げたり、他人をバカにしたりしません。
自分に対してだけ正直になり、決して正直さを他人に求めないのです。
正直に生きることは自分の問題であって、他人の問題ではないのです。
そのことを混同する人がいます。
「俺が正直に言っているのに、あいつはなんだ。正直じゃない。」などと言ったりすると、せっかく勇気を出して正直に言ったことが悪い結果になってしまいます。

未来の自分を変えたいのなら今の自分の行動を変えることです。
信念と勇気をもって人として正直に生きていくことです。

その行いこそが皆さんの未来を輝かせます。

2021.05.11

4月から・・・

執筆者:教頭  人見 敏史

この4月から校名が変わりました。

この4月から新しい先生が来られました。

この4月から制服が新しくなりました。

この4月から新しい授業が始まりました。

この4月からレポートの提出方法が変わりました。

この4月から・・・・・・。

この4月から学校が大きく変った部分もあります。

しかし、この変わった部分を楽しみながら進むことで、他のどこにもない、オリジナルで楽しい学校を皆で作ることができると思います。

皆の想いを形にしてみんなで楽しむ。
RITA学園高等学校はそんな学校でありたいと教職員一同、思いはひとつです。

桜とRITA学園

2021.04.28

利他的行動と社会化「情けはひとの為ならず」

執筆者:校長  小野 康裕

「情けはひとの為ならず」ということわざがあります。
ひとに親切にすれば、そのひとのためになるだけではなく、やがては巡り巡って自分のためになるという意味です。
しかし、ひとに親切にしても、将来において、自分に戻ってくる可能性があるかどうかはわかりません。
このようなことから最近は「情けはひとの為ならず」は違う意味にも使われることがあります。
どちらにしても、なぜひとは親切にしたり、助けたりする利他的行動を行うのでしょうか?

進化人類学者のマイケル・トマセロは、生後14か月~18か月(2歳児)の乳児に対して、まったく面識のない大人がちょっと困っているときに乳児は援助するのかどうかの実験をしました。
手がふさがっているときに戸棚を開けようとしたり手の届かないものを取ろうとしたとき、参加した乳児24人のうち22人は迷わずに即座に戸棚の扉を開けてあげたり手の届かないものを取ってあげるという援助行動をしました。

また他の実験では、幼児が楽しく遊んでいたときにでも、遊びを止めて困っている大人を援助したのです。
自分の遊びをやめるというコストを払ったのです。
つまり、「ひとは助けるように生まれてくる」のです。

トマセロによれば「人間は、1歳の誕生日を迎えるころから、しゃべりはじめ、また歩き出すことで、文化的存在になり様々な状況で協力的や援助的になります。さらに子どもはこういったことについて大人から学ぶのではなく、自然にそうなる」そうです。
しかし、子どもが見せる協力性は、その後の社会の中で、こちらが援助したら相手が援助してくれるかの判断や、自分が所属している集団のメンバーが同じことをどう判断するかというようなことを思考することで、集団の中での自分の行動をいかにこなすべきかという「社会的規範の内面化」を始めるとトマセロは考えています。
このことから、人間の利他性は生まれながらにデザインされているが、社会化する過程でさまざまに変化するものだと考えます。

利他的行動の社会化について、興味深い例として、サミュエル・ボウルズの著書『モラルエコノミー』での「六つの託児所」についてご紹介いたします。
イスラエルの託児所で1日の終わりに子供を迎えに来ることになっており、その迎えに遅刻する親たちに罰金が科されることになりました。
しかし、それはうまくいかず、逆に遅刻する親が増加しました。
また、その後に罰金の制度は取りやめられましたが、その後も親たちの遅刻は続きました。

これは、利他的行動と経済的インセンティブとの間にはある種の負の効果があることを示唆しています。
遅刻に値段をつけると、先生たちに迷惑をかけまいとする、利他的な振る舞い(この場合は倫理的な義務感)が、親たちの買うことができる商品になってしまう結果になったのです。
このように、人の援助する心を数値化やお金の価値にすることは、利他的行動を削減するように導くことがあるということです。
我々は、社会化するなかで、生まれながらに持つ利他的に振る舞うことや人に親切にすることを失くしているのではないでしょうか。
「情けは人の為ならず」の意味が変化しているのも、そのためかと思われます。

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