先生&生徒のつぶやき
2024年12月
2024.12.26
男のロマン
執筆者:教頭 人見 敏史
私は令和6年の個人的な目標として、次の2項目掲げていた。
①60cmの真鯛を釣り上げる
②30種類の魚を釣る
結果としては、①は達成、②は未達成に終わった。
ここで大切な事はなぜ②を達成できなかったかという分析だ。
・悪天候に見舞われた
・潮を読み切れなかった
・餌および疑似餌のチョイスを間違った
・温暖化にともなう海水温の上昇で生態系が変わった
・時合に乗れなかった etc
目標達成のために、夏の猛烈な暑さの中、冬の凍える寒さの中、年間を通じて幾度も釣行したが、何かが足りないから目標に届かなかったのだ。
その何かを探して解決することが次へのステップに必要な課題となる。
そこで諦めたら自ら掲げた目標から逃げることになってしまうのだ。
★令和7年の目標★ 33種類の魚種を釣り上げる
30種類を達成できない奴が増やして大丈夫か??
この自分に課した目標を達成した時に初めて成長を認めることができるのだ。
自分で「参った」と言わない限り負けではない・・・
妻は「1年間で釣りに使った金額を計算すれば、高級寿司店に何回も行けたね」と言った。
「求める次元が違うのさ」と僕は思った(思っただけで口に出してはいない・・・)。
たかが釣り、されど釣り
男のロマンがここにある。
2024.12.18
利他的偉人伝④「マザー・テレサ~ローマ教皇も認めたコルカタの聖人~」
執筆者:教諭 藤原 彰将
マザー・テレサ(本名:アグネス・ゴンジャ・ボヤジオ)は、1910年、現在の北マケドニアであるスコピエのアルバニア系家庭に生まれました。
彼女は18歳でカトリック教会の修道女となり、アイルランドのロレト修道会に入会。その後、インドのカルカッタ(現コルカタ)に派遣され、修道院で教職に就きました。
しかし、彼女の人生を大きく変える出来事が1946年に訪れます。
列車で旅をしている最中、「最も貧しい人々とともに生き、彼らを助けるように」という神の召命を受けたのです。
この体験をきっかけに、修道院の生活を離れ、カルカッタのスラム街で活動を開始しました。
1950年、マザー・テレサは「神の愛の宣教者会」を設立しました。
この組織は、貧困層や病気に苦しむ人々への支援を目的とし、特に「死を待つ人の家」という施設が象徴的な活動となりました。
この施設では、路上で見捨てられた病人や死期の迫った人々を受け入れ、尊厳を持って最後の時間を過ごせるようにケアを行いました。
マザー・テレサが最初に救ったのは、路上で半死半生の状態だった女性だったそうです。
その女性を自らの手で運び、施設で世話をし、亡くなるまでそばに寄り添ったといいます。この経験は、彼女の活動がビジネスライクな慈善事業ではなく、無償の愛に基づくものであることを象徴しています。
マザー・テレサの活動は世界中で称賛され、1979年にはノーベル平和賞を受賞しました。
彼女は受賞スピーチで「愛の反対は憎しみではなく無関心です」と述べ、物質的な貧しさだけでなく、精神的な孤独や疎外感もまた大きな問題であると強調しました。
一方で、彼女の活動には批判もありました。
例えば、施設の運営方針が非効率であったことや、末期患者へのケアが十分ではないとの指摘もありました。
しかし、マザー・テレサはこうした批判を受け止めつつ、自らの使命を貫き通しました。
1997年に87歳で亡くなった後も、彼女の設立した「神の愛の宣教者会」は世界中で活動を続けています。
彼女が残したのは、ただ物質的な援助ではなく、「人は愛され、尊重されるべき存在である」という普遍的なメッセージでした。
マザー・テレサはこんな言葉を遺しています。
「私たちは偉大なことを成し遂げる必要はありません。ただ小さなことを、大きな愛を持って行えばよいのです。」
2024.12.17
RITA学園高等学校に入学して・・・《生徒のつぶやき》
執筆者:令和6年度 登校スタイル2年生 長野 慧璃座
RITA学園高等学校に入学したのは、家族が「ここの学校なら勉強も行事も楽しいと思うよ」と勧めてくれたことと、幼馴染が「一緒に行かない?」と誘ってくれたことがきっかけでした。
正直なところ、最初はRITA学園でしたいこともなく、ただ高校卒業の資格を取りたいと思い入学しました。
しかし、友人や先輩方の影響を受け、生徒会にも参加するようになり、責任ある仕事を任される中で、自分自身が成長していると感じるようになりました。
更には先輩方の姿や先生の言葉に影響を受け、生徒会長に立候補する決意を持つほどまでになりました。
このRITA学園高等学校に来たおかげで、自分の将来について考えるきっかけを得ることができ、人と協力しながら物事を進める楽しさを知りました。
今振り返ると1年生の時と比べ学校が楽しくなりました!
残り1年と少ししかありませんが、悔いが残らないよう全力で楽しみ、成長していきたいです。
2024.12.12
猫との距離感
執筆者:事務長 髙橋 直美
我が家には2匹の猫がいる。
約10年前に娘が猫を飼いたいと言ってきて、犬は散歩をしないといけないから、猫ならいいよと安易な気持ちで飼い始めた。
今は飼いたいと言った娘も可愛がっていた息子もいなく、私たち夫婦と猫2匹の4人家族だ。
猫の餌は当初から主人が与えていたが、あまりにもせかついて食べるせいか、せっかく食べた餌をいたるところで戻してしまい、また主人の大事なものをかじってしまうなどの粗相をしてしまい、とうとう主人の堪忍袋の緒が切れ、最近は私が餌を与えることとなった。
猫は甘えてくることが少なく、微妙な距離感だ。
猫は独立心が強いため、無理に愛情をおしつけたりするとかえって猫のストレスになるそうだ。
そういえば無理やり抱っこしようとすると、スルッと交わされる。
猫は自由であり、自分から寄ってくるまで待つことが必要だとか。
なんて気ままなんだろう。
でも、猫なりに愛情表現をしてくれる。
あんなに怒られても主人の横にちょこんと座ったり、足の親指をスリスリしたりしている(足が臭いわけではないみたいだ)。
人間関係においても同じことがいえるかもしれない。
相手との距離感は近すぎず遠すぎず、でも信頼関係で繋がっている。
微妙な距離感が大切なのではないかと。
帰宅すると猫の鳴き声が迎えてくれる今の生活は、私たち4人家族にとって、なんとなく居心地のいい空間になっているのは確かだ。
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