先生&生徒のつぶやき
2021.09.22
利他的偉人伝①「チェ・ゲバラ~20世紀で最も完璧な人間~」
執筆者:教務課長 藤原 彰将
皆さんは『チェ・ゲバラ』という人を知っていますか?
Tシャツのデザインやサッカーの応援旗にプリントされているのを見たことがある人もいると思います。
しかし、「見たことはあるけど、何をした人かは知らない。」という人も多いのではないでしょうか。
今回はそんなチェ・ゲバラの紹介をしたいと思います。
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ゲバラは裕福な家庭に育ち、医者を目指して大学まで進学します。
そんなゲバラは20代で何度も中南米各国を巡る旅に出ます。
当時、中南米の国々ではアメリカの大企業や政治家が利益を吸い上げ、現地民は貧しい暮らしを強いられていました。
ゲバラは旅の道中、不平等な社会構造を見ていく中で、次第に貧困に苦しむ人々に想いを巡らせていきます。
1955年、27歳の時、ゲバラはメキシコでキューバ人の弁護士に出会います。
キューバ政府打倒を掲げ反乱を起こすも一度失敗し、メキシコに亡命していたフィデル・カストロでした。
ゲバラとカストロは『革命』を合言葉に意気投合し、1956年に一隻のクルーザー『グランマ号』に乗り込み、キューバ政府に戦いを挑みました。
定員12名のクルーザーに82名の革命軍を乗せてキューバに向かった船でしたが、事前に待ち構えていた政府軍の攻撃を受け、革命軍の兵士はたちまち12名にまで減ってしまいます。
それでも、ゲバラとカストロは決して諦めることなく、戦い続けました。
すると革命軍に賛同するキューバ国民が一人、また一人と革命軍に加わり、その規模は数百名にまで膨れ上がっていきました。
圧倒的劣勢だった革命軍が、勢力を拡大できた理由は何だと思いますか?
彼らは戦いの最中であっても、『人として正しい生き方』を徹底的に実行していました。
怪我人は敵兵であっても治療し、物資調達の際は必ずお金を支払い、子供や若者に教育を施し、現地住民で病人がいる場合は無償で薬を提供したのです。
そのような革命軍の姿勢に、人々は次第に信頼を寄せ、革命を成功に導く大きな力になっていきました。
そして1959年、キューバ大統領バティスタが亡命をしたことで革命軍は戦いに勝利します。
革命に成功した後、ゲバラやカストロを中心とする新政権が樹立し、政治が進められていきます。
並みの人間なら「腐敗した政権を倒したんだから、ちょっとくらい美味しい思いしてもいいだろう。」と思うことでしょう。
しかし、彼らは違いました。
教育の無償化、医療の無料化、政府メンバーの給与削減などの政策を次々に行い、自らの損得など少しも顧みなかったのです。
それだけではなく、国立銀行総裁兼工業大臣にまでなったゲバラは、普段から積極的に国民と一緒になって農作業や建設作業に精を出し、汗と泥にまみれて働くことを好みました。
革命に成功し、英雄と呼ばれ、政府の要職にまで就いたゲバラでしたが、その地位もすぐに捨て、再び戦場に舞い戻ります。
最終的にはボリビアでの戦闘中に捕虜となり、銃で撃たれ最期を迎えます。
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このようなゲバラの生き様が「利他的な生き方」なのではないかと思います。
生前、ゲバラは「これからの世界は、自分の利益だけに固執せず社会全体に奉仕する『新しい人間(オンブレ・ヌエボ)』が必要だ」と考えていたそうです。
この考えはまさに、本校の目指す人間像とも繋がるものであるように感じてなりません。