先生&生徒のつぶやき
2021.04.28
利他的行動と社会化「情けはひとの為ならず」
執筆者:校長 小野 康裕
「情けはひとの為ならず」ということわざがあります。
ひとに親切にすれば、そのひとのためになるだけではなく、やがては巡り巡って自分のためになるという意味です。
しかし、ひとに親切にしても、将来において、自分に戻ってくる可能性があるかどうかはわかりません。
このようなことから最近は「情けはひとの為ならず」は違う意味にも使われることがあります。
どちらにしても、なぜひとは親切にしたり、助けたりする利他的行動を行うのでしょうか?
進化人類学者のマイケル・トマセロは、生後14か月~18か月(2歳児)の乳児に対して、まったく面識のない大人がちょっと困っているときに乳児は援助するのかどうかの実験をしました。
手がふさがっているときに戸棚を開けようとしたり手の届かないものを取ろうとしたとき、参加した乳児24人のうち22人は迷わずに即座に戸棚の扉を開けてあげたり手の届かないものを取ってあげるという援助行動をしました。
また他の実験では、幼児が楽しく遊んでいたときにでも、遊びを止めて困っている大人を援助したのです。
自分の遊びをやめるというコストを払ったのです。
つまり、「ひとは助けるように生まれてくる」のです。
トマセロによれば「人間は、1歳の誕生日を迎えるころから、しゃべりはじめ、また歩き出すことで、文化的存在になり様々な状況で協力的や援助的になります。さらに子どもはこういったことについて大人から学ぶのではなく、自然にそうなる」そうです。
しかし、子どもが見せる協力性は、その後の社会の中で、こちらが援助したら相手が援助してくれるかの判断や、自分が所属している集団のメンバーが同じことをどう判断するかというようなことを思考することで、集団の中での自分の行動をいかにこなすべきかという「社会的規範の内面化」を始めるとトマセロは考えています。
このことから、人間の利他性は生まれながらにデザインされているが、社会化する過程でさまざまに変化するものだと考えます。
利他的行動の社会化について、興味深い例として、サミュエル・ボウルズの著書『モラルエコノミー』での「六つの託児所」についてご紹介いたします。
イスラエルの託児所で1日の終わりに子供を迎えに来ることになっており、その迎えに遅刻する親たちに罰金が科されることになりました。
しかし、それはうまくいかず、逆に遅刻する親が増加しました。
また、その後に罰金の制度は取りやめられましたが、その後も親たちの遅刻は続きました。
これは、利他的行動と経済的インセンティブとの間にはある種の負の効果があることを示唆しています。
遅刻に値段をつけると、先生たちに迷惑をかけまいとする、利他的な振る舞い(この場合は倫理的な義務感)が、親たちの買うことができる商品になってしまう結果になったのです。
このように、人の援助する心を数値化やお金の価値にすることは、利他的行動を削減するように導くことがあるということです。
我々は、社会化するなかで、生まれながらに持つ利他的に振る舞うことや人に親切にすることを失くしているのではないでしょうか。
「情けは人の為ならず」の意味が変化しているのも、そのためかと思われます。